2008年04月29日
日本におけるメーデー
この事の背景には何があるんでしょうか。
日本では、1905年(明治38年)メーデーの先駆けとなる平民社の主催で茶話会というかたちで開かれている。労働団体が挙行にいたるのは1920年5月2日日曜日に第1回のメーデー(主催:友愛会 司会者:鈴木文治)が上野公園(現在の東京都台東区)で行われ、およそ5千人の労働者が「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えた。翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。だが、1936年、二・二六事件により厳戒令(「多衆運動ハ従来慣行ニ依リ許容ジラレツツアルモノト雖モ右期間中ハ凡テ之ヲキンシスルコト、従テ愛国労働祭又ハメーデー等の計画アル向ニ対シテハ予メ之ヲ中止スル様諭旨スルコト」同年3月19日付「集会及多種運動の取締方に関する件」内務省警保局)がだされた(実際に禁止したのは3月24日)。山花秀雄は同年3月26日にメーデー禁止措置反対行動を起こし、警視庁内務省へ抗議をしている。同年4月27日には山花自身の名義でメーデーを実施を指令したため、メーデー終了まで愛宕署に検束拘置された。1936年以後1945年まで戦時下などの理由で、また、太平洋戦争激化などの理由で開催されなかった。敗戦直後の1946年の大会では、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年ぶりに盛大に開かれた(飯米獲得人民大会 “食糧メーデー”の別名でも)。
日本の主権回復後に行われた1952年の第23回メーデーでは、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約への抗議も主張に含まれた。その際に、裁判所の使用容認判決が示されていたにも拘らず皇居前広場へ向かわせまいとした警官隊とデモ隊が周辺で衝突した(血のメーデー事件)。その後、労働組合組織の分裂に伴い、分裂開催が定着した。さらに労働組合活動が低調になり、前後がゴールデンウィークで長期休暇を取る例が増えてきたため参加者数が減少してきた。このため連合系メーデーは2001年以降4月28日や4月29日に行われるようになった。一方、全労連や全労協のメーデーは5月1日開催を続けており、その分裂傾向は一層拡大している。連合と全労連のメーデーは、どちらも1920年からの通算回数をカウントしており、2007年で第78回目を迎えるとしている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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